2008年5月22日木曜日

THE_RAMONES

THE_RAMONESはニューヨーク市クィーンズ地区の中流階級で育った、ドラマーのジョーイ・ラモーンことジェフリー・ハイマンさん、ギタリストのジョニー・ラモーンことジョン・カミングスさん、ボーカル兼ベーシストのディー・ディー・ラモーンことダグラス・コルヴィンさんの3人が結成したバンドでした。1974年、後のトミー・ラモーンことトム・アーデライさんをマネージャーに迎え、本格的なバンド活動を開始し、初のギグを同じ年の3月30日にニューヨークのパフォーマンス・スタジオにて行うと、その数ヶ月後にはジョーイがバンドのヴォーカルを務めることになり、その後釜にトミーがドラマーとしてバンドに正式加入しました。こうして4人編成となったTHE_RAMONESは、その年の夏にはニューヨークのローワーイーストサイドにあるパンク専門のライブ・ハウスCBGBの常連バンドとなるまでに成長し、2分弱の短い曲を早々と演奏しまくる1セット20分くらいのギグを連日連夜こなしていました。その結果彼らを信望する熱狂的なファンの数は日増しに増え、バンド結成翌年の1975年にはサイアー・レコーズとの契約を果たしました。そして翌年の1976年にはデビュー・アルバムである「ラモーンズの激情」をリリースするなど、THE_RAMONESにとっては躍進の年となりました。そのアルバムは全米チャートには惜しくもランクインできなかったものの、多くの評論家たちから高い評価を受けています。さらに翌年、セカンド・アルバムである「リーヴ・ホーム」をリリースし、シングルカットされた「Shina_is_a_Punk_Rocker」が全英シングル・チャートのトップ40に入るヒット曲となり、アルバムもアルバム・チャートの48位に入るほどの健闘を見せました。しかし、母国アメリカでの人気はいまひとつ盛り上がらず、サード・アルバム、フォース・アルバムを発表してからもその状況が変わることはありませんでした。その後THE_RAMONESはプロデューサーとしてフィル・スペクターさんを迎えて5作目となる「エンド・オブ・ザ・センチュリー」を制作しました。このアルバムは全米チャートの44位に入り、彼らはいままでにない成功を手にしました。しかしこのアルバムの商業的な成功の代償として、彼らの音楽に対する評論家の評価は下がり、熱狂的なファンによるカルト的な人気も薄くなってしまいました。

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